君に贈る



「『羽蝶』、お前欲しいものとかあるか?」
 たまたま廊下で見かけた『羽蝶』に『空木』は話題を振る。にこりと笑いもせずに見上げてくる彼女に、彼は真面目な顔で繰り返した。
「あぁ、お前が欲しいものは何だって聞いてる」
「窒素ボンベ」
「……おい」
「あれば便利になるというのに、誰に言っても使わせてくれない。何故だ」
 理解できないと、『羽蝶』の表情が告げている。『空木』は強張った表情を隠しもせず、それに苦笑いだけ上乗せして『羽蝶』も前にしゃがみ、彼女と視線を合わせた。
「お前の事だから絶対実験関係に必要なモノを言い出すと思ったんだ……お前は、実験以外に、考えることは、ないのかよ」
 一字一句はっきりと言い聞かせてくる『空木』に、『羽蝶』はやはり無表情だった。
「……お前の言動を理解するのには時間がかかる」
「はっ、無駄な時間使わせて悪かったな、おい」
 腹いせに『羽蝶』の髪をぐしゃぐしゃとかき乱せば、微かに彼女が不機嫌になったのが分かる。些細な彼女の表情変化に満足した『空木』はにこりと笑った。
「まったく、お前ら二人は……。『覇王樹』の奴なんて何て言ったと思うか? あいつ、論文が書けるようなデータが欲しいとかのたまいやがったんだぜ?」
「あぁ、それは欲しい」
 そう言う『羽蝶』は恐らく本気で、言わなきゃ良かったと『空木』は遅まきながら反省する。
「『勇魚』の奴は可愛いお洋服が欲しいんだとよ? お前にはそう言うのはねぇのかよ。ほら、必要とかあったら便利とかそういうんじゃなくて、欲しいっていうもん」
「……時間?」
「そういうモノじゃなくってなぁ……」
 溜息の一つや二つつきたいものの、本人は至って真面目に、真剣に、『空木』の質問の意図を理解しようとしているのだ。邪険に扱うわけにもいかないと、彼は内心頭を抱える。
「……すまない」
 『空木』の心中を察してか、ぽつりと『羽蝶』が謝った。
「お? 心配すんなって。少しずつ理解するようになってくれりゃいいから」
 笑いながら彼は『羽蝶』の右手を取る。寒いのか、小さなその手は冷えきっていて。
 こくりと頷いた彼女に、よしと『空木』も頷いて返す。手を離す前にちらりと伺い見れば、中指がかすかにふくらんでいるのが見て取れた。

 研究室に戻れば、にやにやと笑いながら誰かを待っているらしい『覇王樹』が、いた。
「帰れ」
「つれないなぁ。で、『羽蝶』はどうだったわけ?」
「……言わなくたって分かってるだろ」
 現在『空木』の頭を悩ませているのは、子供三人。一人は子供らしく、その子供らしさに彼は翻弄されているわけなのだが、残る二人はどう頑張っても子供っぽくない。
 彼らにそれを強要したのは確かに周囲にいる大人たちなのだが、それに素直に従って大人びている彼らが、『空木』には気がかりでたまらなかった。だから、せめて一時でも彼らが子供であれるようにと、あれやこれや手を尽くしているというのに、二人はまったく可愛げがない。
「七夕がアレだったんだし、何を期待してるのさ」
「はいはい、俺はどうせ学習能力のないド阿呆だよ」
 放っておけと、『空木』は疲れた様子でどっかりと椅子に座りこんだ。
「そんなに僕らに構うから疲れるんだよ」
「分かってんなら労れ、こら」
「えー? だって僕らには労るココロもないらしいし? どっかの誰かさん曰く?」
「……あぁ、あいつか」
 ちらつくのは女研究員の顔。二人、特に『羽蝶』を嫌っている彼女は、ことある度に彼らに嫌がらせの言葉を投げかけるのだ。
「でもあいつの言葉を鵜呑みにするようなお前らじゃないだろ」
「うん。でも良い言い訳にはなるよね」
「おいおい……。で?」
「でって、何?」
 今回は本当に『空木』の意図を読み損なったらしい。普段ならば分かっていながらもあえて説明させるというのに、『覇王樹』は素直に首を傾げた。
「『羽蝶』の奴が欲しがってるものも問題だけどな、お前もなんかないのかよ。さっき聞いただろ、思いついたのか?」
 少しきつい口調で問い詰めれば、えーと言いながら彼は視線を逸らす。
「あのさ、欲しいと必要ってのは違うんだよ」
「知ってるぞ。だから必要なものじゃなくて欲しいものは何だって聞いてんだろ」
「……」
 上手い切り返しが思いつかなかったのか、『覇王樹』はちょっと口先を尖らせて黙り込む。こういう態度はまだ子供だなと思うと、子供な一面があって良かったと安心する反面、彼が子供っぽく振舞うのがおかしくて、『空木』は思わず笑い出す。
 笑いを堪えようともしない『空木』に、『覇王樹』はにっこりと笑う。
「そうだね、僕は権力が欲しい。全てを意のままに動かせるだけの、権力が」
「は? 何だよそれ、おい待てって」
 呼び止める『空木』の声など『覇王樹』が聞くわけもなく、彼は軽い足取りで去っていく。研究室に一人残された『空木』は、弱ったなと頭を掻いた。

 ちょっと私用で、と『空木』が『勇魚』を部屋に呼べば、彼女はきらきらとした眼差しで飛んできた。
「なに、なに、なに、今度は何があるの?」
「あぁ、ちょっと雑用に」
「雑用……」
 しゅんと萎れるようにうなだれた『勇魚』に笑みを零しながら、『空木』は彼女を部屋に通す。物が溢れかえって実際よりも狭く見える部屋に立っているのは、半年程前にも出てきたあの樹。そしてその根本にあるのは、色とりどりの飾りが詰まった、箱。
「クリスマスって知ってるか、お嬢」
 箱をずるずると引き出して、彼は語りかける。
「一年間良い子にしてたらサンタって奴からプレゼントがもらえる日なんだが」
 きょとんとしながら『空木』を見上げる『勇魚』は、知らないと小さく首を横に振る。
「だろうな。今更驚きゃしねぇぜ。で、雑用ってのが」
 彼はにやりと笑い、言葉を続けた。
「それの準備。飾りつけ、手伝ってくれるよな?」
「……うん!」
 呆けていた『勇魚』も一瞬後には笑顔になって、大きく頷いた。早速飾りを一つ手に取った彼女は、どこにぶら下げようかとツリーを眺める。
 一つぶら下げれば次、一つぶら下げればまた次と、着々とぶら下げていく。彼女の手の届かないところは、『空木』も手伝った。
「ねえ、これって今日なの?」
「明日明後日、だな」
 腕時計に組み込まれた日付を見て、『空木』は答える。明日かぁと『勇魚』が嬉しそうに笑ったのを、彼は見逃さない。
「でも、何で?」
「何でって、何が」
「何でいい子にしてるだけでプレゼントがもらえるの?」
 ツリーに飾りをぶらさげる手を止めて、彼女は『空木』を見上げた。
 あぁ、どうして。
 『空木』は眼差しの彼女を見つめ返す。
 どうして彼女は。
「……お嬢。子供ってのはな、くれるって言うもんを素直に何も思わずに貰ってればいいんだよ。どうしてだとか、そういうのは大人になってから考えろ。な」
「…………うん」
 納得のいかない様子で目を伏せて、でも彼女は頷いた。



 本当に幸せそうにケーキを頬張る『勇魚』に、その様子を面白そうに眺めながら何気なく口に運んでいる『覇王樹』。そして、未だ手をつけていない『羽蝶』。
「『羽蝶』。食わないのは俺が許さんぞ」
 彼女は無言で『空木』を見上げ、ようやくその手にフォークを取った。
 甘いものが嫌いで全く食べないのかと思いきや、そうでもないらしい。彼女は無表情のままケーキを口に運んでいく。ただ彼に言われたからしている、そんな機械的な動作。
「ねね、それで、えっと」
「プレゼントのことか? それは明日」
 『空木』があっさり言ってやれば、『勇魚』はケーキで膨らんだ頬を更に膨らませる。
「えぇー、どうして?」
「サンタって奴がくれるって言っただろ。奴はだな、究極の夜型人間で、深夜にしか現れないんだ。奴はお嬢たちが良い子に寝ているかどうかを確認して、ツリーの下にプレゼントを置いていく。だから、お前らが受けとれるのは明日の朝だ」
 肩を震わせ笑い始める『覇王樹』に、『空木』はずいと顔を近づけてささやいた。珍しく、彼の表情は真剣だ。
「子供の夢を壊してくれるんじゃねぇぞ」
「分かったよ、分かったから」
「何の話? わたしも混ぜてよ、二人だけでずるい!」
「あぁ? 面白い話じゃねぇぞ、『覇王樹』は良い子じゃねぇよなって言ってるだけで」
 そうなの、と納得していない様子の『勇魚』と、いいけどさ、と笑いながら頭の後ろで腕を組む『覇王樹』。年齢的には同じだと言うのに、どうしてこうも精神年齢に差が出たのか。その答えが分かっているだけに、『空木』には頭を悩ませる以外何もできない。
「『覇王樹』は、悪い子なの?」
「そうだね、何を良いとして何を悪いとするかにもよるけど、まぁどんな善悪の定義であれ、僕は良い分類にはならないかな」
 『空木』がなんと返事しようか悩んでいる間に、『覇王樹』がにっこりと言い切る。彼の物言いに『勇魚』は顔を顰めた。
「『覇王樹』の言っていることはむずかしすぎて、わたしには分からないよ」
「こいつの言うことなんて分かんなくていいだろ。よし、じゃあ今日はこれで解散な。また明日来いよ」
「はーい!」
 元気よく返事をする『勇魚』の頭を軽く撫で、彼は彼女に告げる。
「どうせそこの二人は自主的に来ねぇの分かってるから、お嬢の役目はその二人も引きつれてくることだ、いいな」
「もちろん!」
 『羽蝶』がどことなく嫌そうに見えるのは、『空木』の気のせいではあるまい。

「『空木』ー! 朝だよ、起きて!」
 どんどんと扉を叩く音の合間に子供の声が聞こえ、『空木』は枕元に置いていた目覚まし時計に手を伸ばす。眠すぎて時計すらまともに読めないが、長針も短針も明らかに右側にあるように見える。
「起きて、『空木』!」
 朝っぱらから近くの連中に迷惑だろと思うと、気怠い身体に鞭打って彼はようやく身を起こす。
「お嬢……今何時か知ってるか?」
「朝だよ?」
 目をこすりながら扉を開けば、きらきらとした瞳で彼を見上げてくる『勇魚』と、彼女の背後にいる二人。『覇王樹』はあくびをかみ殺しており、『羽蝶』もどことなく眠そうに見える。この二人も、どうやら被害者であるようだった。
「分かったから、ほら入れ」
 扉を開けたまま少し脇にどいてやれば、本当に嬉しそうな笑顔で『勇魚』が駆け入る。彼女が視界から消えたからと、早々に立ち去ろうとする『羽蝶』と『覇王樹』の二人を、『空木』はがっしりと引き止めた。
「お前らに拒否権はない。入れ」
 三人が部屋に入ると、『勇魚』はツリーの前に立っていた。彼女は、その根本に増えた三つの箱を凝視していたのだ。
「ホントにプレゼントがある……」
「あれ、三つなんだ?」
「お前も良い子判定されたらしいぞ、良かったじゃねぇか『覇王樹』」
 棒読みで告げられ、『覇王樹』はただその唇を歪めた。
 『空木』はツリーの根本にしゃがむと、少し大きめな箱を一つ手に取る。付けられたカードに書かれた名前を見て、これはお前のと『覇王樹』に差し出す。小さくて細長い箱は『羽蝶』に。更に小さくて真四角に近い箱は、『勇魚』に。
「ちゃんと受けとったな、よし。じゃあ俺は寝る」
 プレゼントの箱を手にしたまま、追い出されるように『勇魚』たちは部屋を出る。どこに行こうとなった彼らは、結局食堂に腰を落ち着けた。
 なんだろう、と期待に胸を膨らませながら『勇魚』が包みを破かないようにと丁寧に開けば、銀を基本とした台にピンク色の石をあしらった、シンプルだけれども可愛らしいペンダントが出てきた。
「へぇ。可愛いじゃないか」
「うん」
 『勇魚』のペンダントを見ながら、『覇王樹』は無造作に包みを開く。中からは白と黒に塗られた板と、馬や砦をかたどった駒。
「チェスか」
「よっぽど脳みそ持て余してるって思われてるな、これは。『羽蝶』は?」
 彼に促されて、『羽蝶』も開く。細長い箱から出てきたのは一本のペン。彼女が握ってみれば、それは特注したかのように彼女の手にしっくりと馴染んだ。
「万年筆か。欲しいとでも言ったの?」
 いいや、と『羽蝶』は首を横に振る。大体彼女には、『空木』に欲しいものだなんて告げた記憶はないし、そもそも自分が何を欲しいとしているのかすらも分からないというのに。
 そういえば、と彼女は自分の右手を見る。少し中指が膨らんでいるのは、ぺんだこだ。
「あぁ……だから、か」
 納得した『羽蝶』は、少しゆるんだ表情で『勇魚』と『覇王樹』に言う。
「必要でなくても実用できるものを、贈ってくれたらしい」



暗黒の雲
月影草