笹の葉さらさら



 倉庫の中をぐるりと見回した彼は「ま、いっか」と呟いて一本の木を手に取った。
 いつからそこにあるのか分からないその針葉樹はなんだかしおれているようにも見える。が、そんなことは彼の知ったことではない。
 やっぱり嵩張るな、とたまに持ち上げたまにずるずると引きずりながら運んでいれば、そんな彼を目ざとく見つけ出した幼い女の子が目をキラキラさせて駆け寄った。
「『空木』、それ何? どうするの?」
「あ? ただの実験材料に決まってるだろ、こんな邪魔なもん」
「そっか……」
 面白がって彼がさくりと言い切れば、瞬時に大人しくなってしまった彼女が愛らしい。これが別の二人だったら「嘘だな」とすぐに見破ったであろうことを思うと、これが普通だと分かっていても笑いがこみあげてくる。
「冗談だよ、冗談。ほら、今度また年中行事があるだろ」
「年中行事……?」
 ぼかりと口を開けて見上げてくる彼女の頭を、『空木』は軽く撫でてやる。
「知らないんだろ? 教えてやるから『羽蝶』と『覇王樹』の二人もつれてこい」
 彼がにやりと笑えば、『勇魚』は表情を輝かせて大きく頷き、廊下を走っていく。彼女を見送った『空木』は、またずるずると引っ張り始めた。
「……あなた、何してるの?」
 廊下の角を曲がれば前方から人が歩いてくる。その人影は呆れたように声をかけた。普段から彼女、『石竜』に『空木』はいい顔をされていないが、今回はさらに渋い。
「何って、イベント準備」
「イベント? ……あぁ、七日のあれ」
「やっぱ常識だよな」
 話が簡単に通じたことに、彼は感慨深げに呟く。
 理解に苦しむと顔を顰めた彼女に、
「そんな一般常識すらもしらないちびっこに教えるための準備なんだが、何か用か? 何かあるなら後にしてくれ」
 と一気にまくしたてて踵を返した。
「あなたって本当に……」
 『石竜』が何かを言っているが、『空木』は気にも止めない。そう、彼にとって重要なのは子供の面倒を見ることであって、彼女の相手をすることではないのだ。
「どうでもいいけど忙しいんだから、そんなことやってる暇があるくらいなら手伝って欲しいわね」
「んなこと言ってっから見てみろ、『羽蝶』があぁんな育っちまったんじゃねぇか」
「待ちなさい。話はまだ終わってないわ」
 はぁ、と『空木』が立ち止まり、仕方なしに振り返れば、彼女はびしりと彼の持っている木を指差した。
「イベントのことは分かったけど、それは何?」
「は? これ? いや、他に使えそうなもんなくってさ。とりあえずこれで代用しようかと」
 彼の答えに、聞いた本人である『石竜』は更に深い溜息をつく。
「あなたがそうだから、あの子たちがあぁ育ったんじゃないの? ……いいわよ、行って。何を言っても無駄ということがよく分かったわ」
「そりゃどうも」
 『空木』は肩を竦めて返した。

「……」
「あはは、僕もそう思う」
「……」
「まぁまぁ、『空木』だし」
「何だそれ」
 一人はまったくの無表情で沈黙しているにも関わらず、どうやら成り立っているらしい会話に、『空木』はとりあえず突っ込みを入れる。
「ってか、お前らの会話は成り立ってるのか、それ。明らかに『羽蝶』は何も言ってないじゃねぇか」
「発言するのは口だけじゃないよ?」
「あのな、表情も変わってねぇだろ」
「読みが甘いね、『空木』」
 くすりと『覇王樹』が彼を見下すように嗤う。
 どうやら彼には彼女の些細な表情の変化すらも、手に取るように分かるらしい――それも異常な程の正確さで、だ。
「じゃ、通訳頼む」
「何で僕が」
「『羽蝶』の言いたいことが分かるのはお前くらいだっての。双子かってんだ」
「ま、似たようなものだし?」
 さすがに肯定されるとは思っていなかった『空木』は思わず面食らう。『勇魚』は状況が飲み込めていなさそうなものの、「双子」という言葉には反応した。
「『覇王樹』と『羽蝶』はふたごなの? それはおかしいよ、だって同い年じゃないじゃない」
「だから似たようなものであって、そうだとは言ってないじゃないか」
「『覇王樹』の言っていることはむずかしくてよく分かんない」
 『勇魚』と『覇王樹』の二人こそ同い年であり、女の子である『勇魚』の方が成長が早く大人びているはずなのだが、その常識はこの二人には当てはまらない。『覇王樹』に負けず劣らず『羽蝶』の物覚え、理解力もすさまじく、彼女は二年の年の差を物ともせずに今では『勇魚』よりも優秀であった。
 それが何故であるのか、知らないのは『勇魚』だけであろう。
「そんなにむくれるなって、お嬢。今日のメインはこいつらが双子かどうかなんてどうでもいい話題じゃねぇから」
「どうでもいいんだ」
「当然。それにお前らは年齢が違う。だから双子じゃない。証明終了。よし、本題に入ろう」
 いつもながら無茶苦茶だね、と『覇王樹』はまた笑うが止める気はないらしい。話題の当事者である『羽蝶』はやはりまだ黙ってる。
 だがこれ以上『覇王樹』と『羽蝶』の二人に付き合う気もなく、『空木』はぺらっと細長く切られた紙を三人の子供の前に並べた。同時にカラフルなペンも目の前に置いてやる。
「七夕っつってな、願い事を書いてこれを笹にぶらさげるんだ」
 へぇ、と目を輝かせ、何を書こうか早速ペンを片手に悩んでいる『勇魚』と、冷めた表情の『羽蝶』、それに何が面白いのか笑顔のままの『覇王樹』の対比に、彼は苦笑せざるを得なかった。
「あのさ、ぶらさげるって、木に?」
 にやにやしながら聞いてくる『覇王樹』は、恐らく実際の風習は違うことを知っているのだろう。そんな奴の質問にわざわざ答えてやることはないとは思いつつも無視しきれずに、いいや、と『空木』は返す。
「本当は笹を使うんだけどな、調達できなかったんだから文句は言うな」
「本当にそういうところが君らしいよね」
 けらけらと笑う彼を、何が言いたい、と『空木』は睨みつける。だが『覇王樹』が動じた気配は全くない。
「お前ら二人も子どもらしく何か願い書いとけ」
「えー、書いた所で叶わないんだから、書く意味ないよ」
「……それには同意する」
 ぼそりと『覇王樹』を肯定した『羽蝶』は、どうしろというんだ、という視線で『空木』を見上げていた。
 その様子に、彼は愕然とする。
「……もしかしてお前ら、願いとかねぇの?」
「願うとは何だ」
「……。『勇魚』、お前は願い事……」
 話を振られた彼女は、満面の笑みで今書いたばかりの短冊を掲げてみせる。
「いっぱいあるけどね、今回はこれにする!」
 無邪気な幼い笑顔は、欲しいものを全部願うなどという発想を持たない。
 そんなことがあってしまっていいのか。子供は願えば全て手に入ると思っていればいいと、『空木』は考えているというのに。
「何々、『「羽蝶」みたいに頭がよくなりますように』? いや、『勇魚』には無理だよ」
「えぇー、そんなことないもん、ね、『空木』!」
「そうだぞ、願い事ってのは最初から否定してかかるもんじゃねぇ」
 ほらみなさいよ、と胸を張る『勇魚』に、彼女の願い事は決して叶わないのだとは、彼には口が裂けても告げることができなかった。
「『羽蝶』も『覇王樹』も書かないのー?」
「いやぁ、特に欲しいものなんてないし? それに……」
 『皆に見せる願い事なんてないよ』。そう、彼の口が動いた。
 彼らは決して「幼く」ない。彼らは自分自身の手で「願い事」に辿り着くのであろうと思うと、それはそれでどこか恐ろしかった。

 忙しいという『羽蝶』を連行して座らせ、『空木』は彼女の目の前に陣取った。
 無理に連れてこられたにも関わらず『羽蝶』は嫌がりもせず、大人しくしている。これが『勇魚』だったら多少暴れるなり嫌がるなりしただろうに――『羽蝶』は、良くも悪くも無関心だ。
「『羽蝶』。まじめな話をしよう」
 彼の言葉に彼女の目がすっと細められる。今から何を言われるのかと身構えたのか、それとも、また馬鹿な話をと彼を見下しているのか。『空木』には後者のように思われた。
「お前さ、本当に願うってことを知らねぇのか?」
「意味なら知っている。だが、ヒトが願う理由が分からない」
 予期していた答えに彼は苦く笑う。
「お前って本当にどこまで言っても理論が先行するよな。確かに願うってのは感情だ。だからあれは、理解するもんじゃない」
「それは科学的に考えると」
「考えるな」
 やはりどこか分かっていない『羽蝶』に、『空木』はざくりと言い切った。
 もし少しでも彼女が分かっているのなら、突っ込みを入れる場面であっただろうが、相手は理詰めでしかものを考えられない『羽蝶』なのだ。きっちりと教えてやらねば、彼女は納得しない。
「いいか『羽蝶』。感情と理性は相反するものだ。いくら理論で感情を考えた所で理解できるはずがない。理論というものはヒトによる後付けに過ぎなくって、やっぱり動物であるヒトは、感情という名の本能を持ってるし、そっちの方が自然だから楽なんだよ。感情さえあればなんも考えなくたって決断はくだせる」
 本来なら、と彼は最後に付け加えた。
 黙って聞いていた『羽蝶』の表情は、当然のごとく変化しない。暫く何か考え込んでいたらしい彼女は、やがて口を開く。
「不便だな、ヒトは」
「は? お前……ホントに俺の話聞いてたか?」
「あぁ、ヒトは不便だ」
 何でその結論になるんだよ、と『空木』は内心で毒づく。すると、彼女は小首を傾げた。
「理性と本能という相反する二つを同時に内包する――双方ともに同じ向きを向いていればいい。だがもし両方が違う結論を出したら? 理性に従うのか本能にしたがうのか、ヒトはどうやって結論づける?」
「……あぁ」
 彼女の考えを理解した彼は、どかりと背もたれに寄りかかる。
「ヒトって奴は確かに、不便かもな」

「で?」
「でってなんだ、でって」
 押し入るように『空木』の部屋に入った彼、『覇王樹』は、短冊のぶら下がったツリーの前に立ち、裏返った一枚を捲った。
「別に。結局君は『羽蝶』に願い事を書かせられたのかなって気になっただけだけど?」
「あぁ……」
 答えかけた彼を遮るように、別の一枚を捲った『覇王樹』が吹き出した。
「何これ。『子供は子供らしく』って、これは君の?」
 いたずらっぽい視線に、『空木』は苦笑した。どうも『羽蝶』や『覇王樹』の前では苦笑いしかしていない自分が、なんとなく嫌になる。
「いいじゃねぇか。子供らしくもない子供ばっかいやがって」
「『勇魚』のことも気にかけてあげないと、あの子は繊細だし怒っちゃうんじゃない?」
「はっ、それはお前、自分は子供らしくないって自覚でもしてんのか」
「当然じゃないか。子供であることを許されなかった僕らが、子供であれる訳がない」
 どこか他人事のように冷めた表情で呟かれた言葉に、思わず『空木』は口をつぐんだ。
 将来彼らが華々しい功績を収めようとも、このことはいつまでも彼らに付き纏うのだろう――子供二人にそんなものを負わせてしまった責任は、一体誰が取るというのだ。
 ただ、このことについては『空木』よりも当事者である『羽蝶』と『覇王樹』の方が良く分かっている。だから彼はあえて追求せずに、『覇王樹』の短冊を捲った。
「お前さ、俺のことを突っ込んでっけど、お前のこれはじゃあ何なんだよ」
「僕の願い事に決まってるじゃないか」
 そこ書いてあったのは、「人生楽しくあれ」の一言。楽しくあれもなにも、彼は十分楽しそうにやっていると『空木』は思う。
「いやいや、もう少し楽しくてもいいかなー、なんて」
「そりゃ無理だろ。ってか、『羽蝶』といいお前といい、俺の思考を読むな」
 バレた? と悪びれもせずに指摘された『覇王樹』は舌を出す。そして、最後の一枚である短冊に手を伸ばした。そこに書かれた言葉を見た彼は微笑んで元に戻す。
「……あの子らしいや。何はともあれ、あの子に願い事って概念を教えてくれてありがとね、『空木』」
「珍しいな、お前が人に感謝するとは」
「うん、明日は世界が滅ぶかも」
 最後に物騒な発言をして、彼は足取りも軽く『空木』の部屋から出ていった。
 見送って『空木』も『羽蝶』の短冊を見る。
『アカシックレコードに辿り着きたい』
「……子供が願うようなことじゃねぇだろ」
 呟いてそれを、静かに元に戻した。



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