科学者は魔術を夢見る



 猪代瑠璃が私の一件をもみ消したのは、早くも七年前のこと。
 あれから「自分」というものを思い出そうとしている内に、『闇・羽』が崩壊したらしいことを耳にした。そして華永国は見事に復興。今では崩壊前と同じ光景が見られるという。まだ行ってみたことはない。
 そこまで中心となってやってきた猪代瑠璃が、突然政界から退いたのがつい最近の事。次に政治のリーダーとして彼女が指名したのは蟒紗綾。この子とは二年程しか一緒にいなかったけど、組織から「制御不能」のレッテルを貼られ、猪代さんの下にいただけあって、すごく聡い子だと思う。
「で、紗綾はこんなところで油売ってていいの?」
「油を売りにきたんです」
 その張本人は、素知らぬ顔をして出されたお茶を飲んでいた。
 本当だったらね、素敵なカップに入れて紅茶を出してあげたかったけど、そんなカップなんて手持ちにないし、そんなにいい紅茶の葉っぱだって持たないから、だからマグカップにティーバッグ。うん、何もないよりはまし、かな?
 この子だって、今日はこの子なりに思うところがあって来たんだろうと思うと、邪険にして追い返す訳にもいかないし。私は、この子が自ら話し始めるのを、薄いインスタントコーヒーを啜りながら待っているしかなかった。
「あの組織において、猪代さんは異端児としか言いようがありませんけど、舞華さんは別の意味で異質ですよね」
 紗綾に真面目な顔をしてそう告げられ、そうだったかも、と私はふにゃらとした笑顔を向ける。あまり、異質であった自覚はないけれど、だからこそ異質だったのかもしれない。誰も彼もが、周囲の動向に気を配ってた。それは自身を守る為でもあり、自身をアピールする為でもあったのかな。
 紗綾は、私がまだ組織に在籍していた時に引き抜かれてきた子だ。当時は結構もてはやされ、どんな天才に育ち上がるのかと期待された子だけど、いつまでも猪代さんの下から独立しなかった為に周囲はできない子だと思ってた。だけど真相は逆で、それこそがこの子の狙いだったんじゃないかな。
 この子は、独立できるだけの能力を持ちながら、あえて猪代さんの下に残る事を選んだんだと、私は思う。それは、あえて自分の力を隠す為。
 まぁ、あの人はそんな演技にだまされるような人じゃなかったけど。
「確かに、皆誰かに認められようって必死だったもんね。でも、それを言ったら、他人の評価を気にしなかったのは紗綾も猪代さんも同じでしょ?」
 この子は、いつだって何かを探ってる。組織に入ってきた時もそうだし、今だってそう。でも、他人にはそれを見せない。相当に頭の良い子。
 でも、多分、そんな頭の良い子すらも手玉に取っていたのが彼だし、猪代さんなんだろう。この子が「操られる」ことをいくら嫌がって反発したとしても、最終的に利を得るのは「彼ら」で、傷つくのがこの子だ。
「まぁ、猪代さんは既に上り詰めてましたし、私は別にあえて争い事に首を突っ込む気もありませんでしたし」
 やっぱり、この子も異質だった。でも、この子はちゃんと分かってたし、わきまえてた。自分の立場という物を。
 だから私のことも、もう分かってるんじゃないのかな。でも他に分からない事があって、もやもやしてて、だからこそこうして、何かを求めてきてるんじゃないかな。
「そういうことだけじゃなくて、ご両親の事とか、舞華さん自身の、あの組織に対する態度とか、そんなこと全てを総じて考えてみると、その……舞華さんがあの組織にいた理由が、見えないんです」
 指摘されて、私はマグカップをテーブルに置き、腕を組んでうーんと悩み出す。
 そんなこと考えてもみなかったけど、確かに私があそこにいた理由って、外からは見えなかったのかもしれない。組織も潰れた今になって訊かれるとは、思いもしなかった。
「私はね、科学に魔術を求めたんだよ」
「魔術?」
 意外な言葉だったのか、紗綾は目を瞬かせた。そんな表情は素直で、この子は「こっち」側の人間じゃないんだって、改めて突きつけられたのが寂しい。
 この子は秀才で、地道な努力をずっと積み重ねてきたんだろう。だから、私や猪代さんとは根本的に違う。だと、理解してもらうのはちょっと難しいかな。
「うん、魔術。科学者のね、誰もが夢見るものだと思うんだ。私はね、その魔術の力が欲しくってね、そんなものを研究させてくれる所って他になくってね、それで友達も家族も捨てて組織に入ったの。
 だからね、全て他人の手で破棄されて組織に入るしかなかった、そんな人たちなんかよりもずっと、私は幸せだよ」
 紗綾は表情も変えず、手の中のマグカップを弄んでいた。
 組織の横暴で組織に入らざるを得なかった人たちも、「組織に認められる」ことが夢で入った人たちも、不幸だ。だって、元々持っていた夢を奪われ、諦めるしかなかった人たちと、「組織に入る」ことで夢を達成し、「組織に入る」以上の夢を見つけられない人たちだから。そんな人たちが、あの組織の中で過ごす日々に満足できる訳もない。
 けど、私は違う。私は、あれが自分で選んだ道だった。だから後悔もしなかったし、不満もなかった。あの、負の感情が渦巻いてた組織の中で、確かに私の存在は浮いていたんだろう。
「何を、研究されてたんでしたっけ」
「不老不死」
 一言で答えれば、どこか驚いたような、けれど同時にどこか納得したような、そんな表情を彼女は見せた。驚いたのは私の研究テーマで、納得したのは他でできなかったってことかな。
「私は不老不死を夢見て、組織は私の後押しをしてくれたの」
「舞華さんと組織との利害が一致した、ということですね。なるほど、ならばうまくやっていけていたはずです。ですが、今度は逆に、あなたが組織に戻らなかったことの説明がつきません」
 弄ばれていた紗綾の空のマグカップを受け取り、もう一杯紅茶をいれてあげる。だけど、今度は手を付けなかった。
「あなたは、組織を潰す事に反対だったとしてもおかしくはないと、私にはそう思えるんですが。実際はどうだったんですか?」
「うーん、組織のどうのこうの、じゃなくて、私は猪代さんを支持したし、支持するよ? だって、恩があるからね」
「猪代瑠璃を?」
 あれ、この子は知ってたんだ、あの兄妹のこと。誰が教えたんだろう。あ、誰が教えなくたって、この子は答えに辿り着いたんだろうけど。助けなんて必要なかったんだろうな。
「あのね、あの時、研究、失敗しちゃったの。それでね、私も組織に消されるはずだった」
「あの時、というのは、舞華さんが姿を消された時ですね」
 そう、と私は頷いた。
 自分自身を被検体とした実験は、私の身体も脳も酷く傷つけた。記憶の混乱も見られたから、私は一度親元に帰されたらしい。これは、猪代さんの独断だった。組織では私を死んだ事にしたんだったかな。
 どちらにせよ、酷い失敗をしてしまった私は、周囲のプレッシャーもあって、組織に残る事は難しかったから、あれで良かったんだと思う。
「組織からの足抜けも、情報の流出も許されない。だから、猪代さんはあなたの存在そのものを『消して』しまった訳ですか」
「うん、そういうこと。でも、彼はそれを見逃さなかった」
 当然あの人は私の存在を完璧に消そうとした。記憶が戻っていなかった私は無防備で、私だけだったのならば簡単に消されてしまっていたことだろう。
「その時、舞華さんの存在を守ったのが猪代さんだった、と」
「なんだ、紗綾は真相を知ってるんじゃない。
 何でか猪代さんは助けてくれた。何でだろうね。私、あの人の研究、無理に奪って自分のものにしたっていうのに。あぁそっか、ヘザーが頼んだからか。ヘザーには甘いよね」
 私がくすくすと笑うのを、紗綾は無表情に見つめていた。頭のおかしい人って思われちゃったかな? 間違ってはないけど。
 そういえば、あの個人主義な組織が、あの頃くらいから少しずつ変わっていたって。派閥が出来上がって、彼と彼女が対立した。主に、組織の存亡をかけて。でも、あの二人だけだったならば決着は着いていなかったに違いない。何か、別の外部要因でもあったんだろう。
「私はね、そこまで恩知らずじゃないよ。だから、私は猪代さんを支持した。まぁ、丁度の時に組織にはいなかったから、あんまり関係ないんだけどね」
 私がコーヒーを口に運べば、釣られたのか紗綾もマグカップを再び手に取って一口、口に含んだ。
「……あの人も、あんな人でも、身内に甘い所があるってことですか」
 ふと、ため息のように零された言葉。それがどんな感情からきているものなのか、私には分からない。
「あの人は、一体何を求めたんでしょうね」
「何だったんだろうね。私は不老不死の研究をしたくって、それに一番近かった猪代さんの研究を引き継いだけど、本人は不老不死を追い求めてた訳じゃないって、ヘザーから聞いたよ」
 あの人が具体的に追い求めたモノが何一つとして存在しない事は事実だと思う。一つのテーマに絞った研究をしなかったのは、あの人がその一つテーマの結果に興味がなかったから。多分、そういうことなんだろう。
「紗綾は知らないの? ずっとついてたじゃない」
「分かりません。あの人の考えは、良く読めませんでした。強いて言うのならば、何も求めていなかったように思います。何と言うか、過程だけが必要だったような、そんな印象を受けました。
 ……でも、おかしいですよね。本人は『過程が違っても、結果が同じなら全て同じ』って豪語するような人だというのに」
 紗綾の考察を聞いて、私はうん、と一つ大きく頷いた。
「あながち間違ってないんじゃないかな」
 私が同意を示せば、え、とこの子は目を丸くする。
 あれ、こんなに素直に感情を表現できる子だったんだ。知らなかったなぁ。組織に来たあの日から、この子は私なんかよりずっと大人びていたから。
「あの人は、あの組織そのものに似てると思うよ。だから『何も目指さなかった』っていう印象は多分正しいんじゃないかな」
 明らかな戸惑いが、紗綾の目に見える。
 猪代さんはそういう所、完璧な「天才」だ。あ、天才以外の何物でもないけど。
「強いて言うなら、魔術を目指したんじゃないかな。
 全ての不可能を可能にする万能の力。あの人の研究は、どれもこれまでの『科学』に大きな衝撃を与えるものばっかりだけど、あの人からしてみれば、どれも途中経過にすぎないんだと思うよ。だから、今までのあの人を見ていても、『目指すもの』が見えなかったんじゃない? だって当人も辿り着いてないし、そもそもゴールが遠すぎて、本人にだってまだ見えてないんだろうから」
 紗綾は俯いて、沈黙。
 私はコーヒーを飲みながら彼女が情報を消化するのを待ち、彼女はやがて静かに口を開いた。
「 Magical Scientist とは、そういう意味だったんですか?」
「それは違うよ。あれは、『魔術に最も近い科学者』——ある意味、あれは皮肉だったんだよ。『科学』で辿り着けない領域にまで、同じ『科学』を持って辿り着いてしまった猪代さんに対する。あの人が出した結果は全て、でっちあげだったんじゃないかって、そういう」
 紗綾は再び沈黙する。カップを軽くゆすって中で渦を作る、そんな動作が微笑ましい。
「あの人は、本物の『魔術』を目指していると、そういうことですか?」
 さすが。この子ならば「魔術」なんてあり得ないと言ってもおかしくはないと思ったけど。何でこの子は「こっち」側じゃないんだろう。それだけがすっごく残念だ。
「多分、ね。誰が見ても『魔術だ』と言わせるような、そんな『科学』の領域を目指してたんだと思うし、私はそうであって欲しいな」
「あなたが引き継いだという、猪代さんの研究——誰もが口を揃えてあれは『失敗だ』と言いました。でも、今の話を聞いたら、そうは思えなくなりました」
「何で?」
 私は、そう短く促した。
 紗綾はマグカップから視線を上げる。
「あの人は、あの『失敗』によって『永遠』とも言える時を手に入れました。あの人が、猪代さんが目指すモノが『魔術』だというのならば、それに自身の手で辿り着く為に、自らの身体を『改造』し、『永遠』を手にした……あの『失敗』すらも、あの人の計画の内だった、という線が濃いように思います」
 そして紗綾は「おごちそうさまでした」と空にしたマグカップをテーブルに置き、帰って行った。
 政界から猪代さんが手を引いたのは、多分自分の研究に没頭するため。今度は一体、何を仕出かしてくれるんだろう。ちょっと楽しみだな。
 私も『永遠』の時を手にした。だから、もしかしたらこの目で見れるかもしれない。あの人が目指した『魔術』とやらを。



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