門出



 あれは、バレンタインデーのつもりだったのだろうか。そう、ずっと思案していた。
 彼女は僕が帰ってくるのを見越して作ってみたと言っていたから、バレンタインとは何ら関係なかったのかも知れない。けれど、それでも当日だったのだから意識してしまうのは仕方がないだろう。
 なにより頭を悩ませているのが——ホワイトデーのお返しだ。彼女のことだから、何を贈っても喜んでくれるのは分かっている。だから逆に、何を贈れば良いのかが分からない。
 思い悩みながら商店街を歩いていると、ふと道の反対側にある宝石店に目がとまった。そういえば彼女がアクセサリーを身に着けている所を見たことがないなとも思う。
「何やってんの、華鏡? なんていうか、まるで結婚指輪選びに来たみたいな顔してる」
 けらけらと楽しそうに笑われて、一気に頬が熱くなった。それが誰なのかなんて、顔を見なくても分かる。
「ち、千秋! け、結婚指輪だなんて、冗談……」
「んー? あたしは結構本気だけどな。だって町中公認の仲だよ、二人? むしろ、まだなのって感じ?」
 にやにやと笑いながら告げられた言葉は、どこまで本気なのかが分からない。いや、もしかすると、もしかしなくても、彼女はかなり本気ではないだろうか? 公認の言葉に、顔が更に熱くなった。
「あ、分かった。悩んでるの、ホワイトデーのお返しでしょ?」
 ずばりと言い当てられ、口元が僅かに引きつる。そんな僕の些細な表情変化を見逃してくれるような彼女ではない。
「結婚がまだっていうんなら、婚約辺りで手、打たない? 雅沙羅、喜ぶよ?」
「い、いや、そんな」
「華鏡、何ためらってるの? 確かに今のままでも二人ってすっごく羨ましくなるくらいに仲良いけどさ、だから逆にこのままって言う方がもったいないよ。何でそんなに遠慮してるの? もっと踏み込むべきだよ」
 真剣な彼女の物言いに、強引に押し切られるように店内に連れて行かれ。
 ——購入、してしまった。

 そうして迎えた当日。当然、何と言って渡せば良いかなんてさっぱり分からない。
 小さな布張りの青い箱を握ったまま神社まで来て、鳥居の前に佇んで……潜れずに立ち尽くした。雅沙羅が出てくる前に帰ろうか、でも帰ってどうするんだと自問自答していたその時。
 やはり察しの良い雅沙羅は、奥から出て来てしまった。
「どうされました、華鏡」
 巫女装束の彼女が運んできた柔らかで暖かな空気に、今日ばかりは緊張する。穏やかな笑みの彼女は、恐らく僕が何を言わなくても分かっているんだろう。けれどやはり、言わなければならない気がした。
「えっと、その、あの、この間の、バレンタイン……えっと」
 言葉が切れ切れにしか出て来ないのがもどかしい。頬は熱くって、自分が真っ赤だろうなんてことは考えなくても分かる。雅沙羅の反応を伺う余裕なんて、ない。
「これ、その、婚約してください!」
 言ってしまってから、自分の口から飛び出た言葉にはたと凍り付いた。
 やってしまった。
 そんな言葉ばかりがぐるぐると頭の中を駆け巡る。
「ありがとうございます」
 言われた雅沙羅の方はといえば、僕なんかよりもずっと落ち着いているようだった。彼女の静かな声に思考が現実に戻ってくた僕は、ようやく彼女の顔をまともに見ることができた。
 普段通りの口調とは裏腹に彼女はどこか躊躇っているようで、やはり迷惑だっただろうかと後悔しかけ——彼女が、にこりと微笑んで顔を上げた。
「ありがとうございます。……喜んで、お受けします」
 いつもの優しい笑顔とも違う、すごく晴れやかな表情だった。
 雅沙羅の返答に、僕の思考は完全に沈黙した。
 彼女は今、何と言った? すごく幸せそうな表情をしているのは、僕の気のせい?
 それとも、それとも?
「え、えぇぇぇっ!? い、いいの? ぼ、僕で? ちゃ、ちゃんと良く考えた?」
 自分で言っておきながらこの反応もあったものではない気もするけれど、そんなにあっさりと、しかもほぼ即答でOKが出るとは思っていなかったのだ、仕方がないだろうと言い訳してみる。
「——はい。華鏡こそ、私で良いんですか?」
「ななな何言って、僕は、君が」
 またも落ち着いて雅沙羅の顔を見ていられなくなって、あたふたと視線を彷徨わせた。思わず触れた頬が熱く、ひんやりとした指の感覚がそれをはっきりと伝えてくる。
「ぼ、僕は。君しか、いらないよ」
「私もです」
 一緒ですね、とはにかんだように笑う彼女の表情を、僕は忘れないだろう。

「おぉ、お前らついにくっついたか」
 部屋で一杯引っ掛けようと誘われて来たら、この有様だ。あの神社には彼女と僕の二人しかいなかったはずなのに、一体、雪風はどこから聞きつけたのか。
「ま、おめでとさん。末永く幸せに爆発しろ」
「……そういう君こそ、そろそろ身を固めたらどうなんだい? 君の方だって、公認だろうに」
 恥ずかしさに顔を上げられずに、しかし言い返してやれば、彼はあーと気の抜けた声を出す。どうやら、彼の方にもその気はあるらしかった。
「そだな、そろそろ良い頃合いってか。こっちが決まんねーと、あっちのカップルも落ち着けねぇみたいだしな」
「あっちの? あぁ……お節介を焼くのに忙しくって、自分たちの恋愛どころじゃないんじゃないのかな」
「で、お前の方の結婚式はいつだ。予定空けとくからさっさと日程教えろ」
「え? いや、まだ婚約……」
「はぁ? 馬鹿かお前、プロポーズの言葉は婚約じゃなくて結婚だろ」
「ご、ごめん?」
 少しだけ付き合ったら帰ろうと、そう思っていたのに。結局、一晩中彼のお説教に付き合う羽目になった。



Eternal Life
月影草