重なる過去と現在



 蔵の掃除とは、薄明かりの中、置いてある物にいかに触れずに埃を落としていくのか、の戦いである。棚ひとつ分の埃を落とし終えた千秋は肩から力を抜くと、大きく伸びをした。
 連れはどうしているだろうかと横を見れば、彼はなにやら考え込んでいるのか、しっかりと手が止まっている。
「おーい、勝? 精神病んじゃった?」
「あ、悪ぃ。考え事してた。でもお前、その言い方は酷くね?」
「だってー。こんな暗くて埃っぽいところにずっといたんじゃ、あたしは鬱になりそう」
「その割に楽しそうだけどな」
「んー、そうかしら?」
 勝が言うことはもっともで、暗くて埃っぽいのはさておいて、千秋はこういった古いものに囲まれているのが好きだった。
「前は嫌がってたってのに、何あったんだよ」
「やーね。これが年を取るってことかしら」
 休憩しよう、と彼女は勝を促して外に出た。冬の弱い日差しではあるが、やはり蔵の薄闇に慣れた目には眩しい。
「それで? 何考えてたのよ」
 汚れてもいいように羽織っていた長めのシャツを脱げば、それは大分黒ずんでいた。本当は今すぐにでも暖かい家の中で寛ぎたかったが、ひとまずは外で熱いお茶を貰う程度に留めて置いた方が良いかもしれないと、千秋は思った。
「いや、あいつの話って何だったんだろうと思ってさ」
「何の話?」
「諒闇の、戦時中に二人が引き裂かれたって話。そりゃどっちかが死んで、幽霊になってもまだ待ってて、とかはよくある話だけどさ、そんなよくある話がとっておきの話になるか?」
「怪談話が好きな子にするのには、ちょっとありきたりすぎるかしら」
「だろ」
「うん」
 それには千秋も気付いていたし、実は彼女には思い当たる話が一つだけあった。
 しかし、地元である千秋ですら終わりを知らない話を、越した来たばかりの雅沙羅が知るはずはないと、可能性を追いやろうとしていたのだ。
「まー君もちーちゃんも、そんな寒空で何してるのー? お茶淹れてあげるから上がって上がって」
「え、でもお母さん、私たち入ったら家中埃だらけになっちゃうよ?」
「大丈夫よ、掃除するのちーちゃんだから」
「あ、入ろ」
「おい、そこ」
 千秋の母である杏奈に手招きされて、勝は縁側から堂々と和室に上がった。少し躊躇った千秋だったが、畳の上にシートが敷かれてあるのを見るなり、彼に続いた。
「さっきの続きだが、あいつら、何だと思う?」
「あいつらって、雅沙羅と桜のこと? 何よ、突然」
「ん? あ、もしかしてお前、見てなかったか? 諒闇があの話を出した時、神の顔、青ざめたぞ。あれ、二人とも知ってる話のはずだ。少なくとも、神にも心当たりがある。ここで初対面っていう訳でもねぇだろうな、あの感じじゃ」
「む、それは見落としたわ。勝に遅れをとるだなんて、一生の不覚」
 血の気が引いたのならば、心当たりがあるどころか、桜にとっては蒸し返されたくない類の話のはずだ。あの雅沙羅が、あえてそんな話を持ち出すだろうか?
 どういう意味だ、と千秋を半顔で睨みつけながらも、勝は言葉を続けた。
「大体、都会からこんな田舎町に転校してくるって、よっぽどだろ。一人だったらまだ、いじめとか個人的な理由で片付けられたとしても、二人だぞ、二人。さすがにありえんわ」
「しかも二人とも、バックに清舞家がついてるのよねー。そこも分かんない」
 確かに、と大きく頷いた勝を見て、千秋は大げさに目を丸くして見せた。
「え、勝知らないの? 清舞の血縁でしょ?」
「血縁っつったって、本家の清舞から分かれたの相当昔だぞ。むしろ柳原の方が清舞とは親しいだろ」
 杏奈が、湯気を立てる湯呑みと茶碗を持って入ってくる。椀の中身は、ぜんざいだった。
「うわー、うまそ。いただきまーす」
「いただきまーす!」
「どうぞどうぞ、熱いうちに召し上がれ」
 受け取ったスプーンでぜんざいをかき混ぜれば、更に熱々とした湯気が立ち上った。少しだけスプーンの上に掬った小豆を見ながら、ふと千秋が言う。
「そういえばお母さんは、雅沙羅と桜のこと、もしかして良く知ってるの?」
「んー、雅沙羅ちゃんのことなら、ちーちゃんも良く知ってるんじゃないの?」
「あ、清舞さんの方じゃなくて、転校して来た子の方」
 どの子だったかしら、と杏奈は首を傾げた。そして誰か思い当たったのか、彼女はいたずらを思いついた子供のように目を輝かせた。
「ちーちゃんの学校のお友達なら、ちーちゃんの方が良く知ってるでしょうに。お母さんが知ってるのは、神武神社が復興するって言う話くらいかしら。
 じゃあ二人とも、蔵の掃除、引き続きよろしくねー」
 そそくさと退席する自らの母親を、スプーンを咥えた千秋はいぶかしげに見送る。唇を尖らせてみせるが、ぜんざいと格闘するのに夢中になっている勝は、彼女の表情になど目もくれない。
「神社が復興するって話くらい、あたしだって知ってるも、ん?」
 清舞家が神社の修繕を始めたのは、もう数年前になるのか。確か清舞雅沙羅が復興させたいと言ったことから始まったプロジェクトで、当時、清舞・柳原両家の蔵をひっくり返して資料を漁る、大騒動になったものだ。
 そこから社の修復作業が始まったわけではあるが、千秋が覚えている限りに置いては、まだ「復興させたい」という希望以上のなにものでもなかったように思う。
 ならば、それがいつ「復興する」と確定したのか。
 神武神社を復興するにあたって、清舞・柳原両家に遺された資料だけでは足りなかったものとは。
『清舞はね、知識を伝える家だったの。実際に行われていた神事はね、神武に伝えられていたのよ』
 そう言っていたのは、清舞雅沙羅本人ではなかったか。神社が復興するにあたって、途絶えてしまった神武に伝えられていたそれが必要ではなかったのか。
「神武、雅沙羅……!?」
 ぽとりと持っていたスプーンを椀の中に落とすと、がばりと千秋は勢いよく立ち上がった。沓脱石の近くに置き去りにされていた靴を引っ掛け、彼女は蔵の中に飛び込む。
「おい、柳原っ!?」
 慌てた勝の声が後に続いた。どうやら彼は律儀にも、彼女の後を追って来たらしい。
「どうしたんだよ、急に」
「ごめん、手袋貸して」
「ん? あぁ、いいけどさ」
 それ以上は問い詰めもせず、勝はジーンズのポケットに突っ込んでいた軍手を差し出し、千秋は何か言いたさそうにしながらも大人しく受け取った。
 迷うことなく棚の前に立ち、丁度彼女の腰程度の高さから、和綴じされた冊子をそっと順繰りに引き出す。千秋の腕の中で平積みにされたそれを、勝は覗き込んだ。
「『柳原千秋の日記』?」
「あたしのじゃなくて、ご先祖様のだから。なんかね、江戸末期から明治にかけて生きてたらしいよ」
 表紙に書かれた日付からお目当の日記を探し出すと、彼女は持っていた他の冊子をとりあえず棚の空きスペースに平積みする。そして、目当てである日記のページを丁寧にめくり始めた。その手も、紙切れが一枚挟まったページで止まる。
 挟まった紙切れを良く見るために光を求め、千秋は蔵の入り口付近に移動した。そのままぴたりと動きを止めた千秋を、背後から覗き込んだ勝が目にしたのは、一枚の白黒写真だった。恐らく神社で撮られたものなのであろう、少女と女の子の二人が鳥居を背景に仲良く写っていた。まだ成長中の線の細さはあるが、少女はどちらの雅沙羅にもそっくりで、勝も険しい表情になる。
「それ、誰なんだ?」
 問われ、震える手で千秋は写真を裏返した。
『明治元年吉日 神武雅沙羅と森下結』
 恐る恐る書かれた文字を読んだ千秋は、ふぅと一息吐くと、そうだよねと頷いた。
「うん、これだったら雅沙羅が諒闇姓なのも納得いく。あの子、多分本名は神武だよ」
「なんだ、その写真に写ってるのが諒闇だって言うのか?」
「うん。神武神社が復興できるのは雅沙羅が帰って来たからで、逆に言えばあの子がいる今しかできないんだよ、きっと」
 千秋の言葉は勝の理解を超えていたが、彼は黙って彼女を促した。
「こっちも憶測でしかないんだけど……雅沙羅が言ってた二人の話って、この二人の話なんじゃないかな。ご先祖様によるとね、この二人、すごく仲が良かったんだって。でも、二人とも戦争に巻き込まれて村からいなくなって、結局戻らなかったみたいなの」
「それで、神が女の子の方か」
「え?」
 雅沙羅のことにばかり気を取られていて桜まで考えていなかった千秋は、慌てて写真を見直す。指摘されてみれば、幼いながらも確かにそれは桜の顔だった。雅沙羅と桜は同い年だとばかり思っていたので見逃したのだ。
「だってほら、そうじゃなきゃあいつが森下家に預けられてる意味が分からん」
 くらりと目眩がして、日記が千秋の手から滑り落ちた。


 雅沙羅に神社の掃除を手伝って欲しいと言われ、桜は神武神社まで来ていた。
 なんとか登りきった石段の上で息を切らせながら辺りを見回せば、鳥居は最近塗り直されたばかりらしく、鮮やかな朱色だった。社自体も、まるで新築の様相を呈している。
 境内の隅、石灯籠に隠れるような位置に、厳しい表情をした男の霊がいた。桜は警戒して一瞬足を止めるが、彼は彼女のことになど気が付いていないのか、微動だにしない。
「さぁくらっ! こっちこっち!」
 神社の裏手から千秋に手を振られ、桜は急ぎ足て歩き出した。彼女に招かれるがままに部屋に上がれば、雅沙羅と勝がのんびりとお茶をしており、掃除だと聞いて来た桜は拍子抜けした。
「いらっしゃい、桜」
「よう」
「あ、あれ? 掃除は?」
「掃除もこれから始めますが、その前に話したいことがあると、千秋が」
 急須から注いだお茶を桜の前に置き、雅沙羅は座るようにと空いた座布団を示した。
 そして三人の視線が集まる中、千秋は少し緊張したような面持ちで、一枚のクリアファイルをすっと卓上に差し出した。
「これのことなの」
 それ以上は何も言わずに、彼女は雅沙羅と桜の二人を交互に見る。
 雅沙羅はちらりと一瞥しただけでいつもの笑顔を崩さず、ただファイルの向きを桜へと変えた。
 なんだろうと覗き込んでいた桜は、最初は戸惑いに、そして驚きに、その表情を変える。何かを言いかけてやめた彼女だったが、雅沙羅に促されて再び口を開いた。
「私……覚えてる……?」



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