新たな土地と新たな生



 見回す限り、溢れんばかりの人、人、人。
「……えっと」
 大日本帝国と名を変えた自国の首都で、桜はおろおろと周囲を見回した。彼女は今、街道を通って到着したばかり。本来ならば初めての首都ということではしゃぐべきであろう場面なのだが、どうしても戸惑いが先にきてしまう。
「……どうしよう」
 諒闇雅沙羅が向かったという地。辿り着いてみればなんとかなるだろうと桜は楽観していたけれど、首都・東京を相当甘く見ていたようだ。これは宛てもなく歩いて諒闇雅沙羅が見つかる勝算は、かなり低い。
 ——あるいは彼女が探してくれれば。
 思って桜は首を振る。諒闇雅沙羅とは敵同士だったし、そもそも彼女が桜のことを知っているかも怪しい。そんな諒闇雅沙羅が桜を探す理由が、そもそも桜に会う理由がない。
「どう、しよう」
 再び桜は呟いて、人の往来を見遣る。ここまで来てしまって今更だが、大体自分は諒闇雅沙羅の容姿を覚えているのか、大衆の中から見分けられるのか、それすらも疑問だ。
 よし、と気合いを入れて、桜は人の波に戻ろうと思った。このまま佇んでいても仕方がないのだから、とりあえずは都の中心の方へ向かってみよう。そしてそこでまた考えれば良いのだ。
『おい、待てって!』
「……?」
 誰かに声をかけられたような気がして辺りを見回してみるが、桜に話しかけるような人は誰一人としていない。空耳だったのだと一人納得すれば。
「結?」
 懐かしい、声がした。
 その声は決して大きくなかったというのに、桜の耳にははっきりと届いた。覚えていないけれど、憶えている優しい声。それはxxxxxxの——
 ぐらりと、視界が回転した。



 身体が燃えるように熱い。
 頭が割れるように痛い。
 どんな体勢になっても楽になれず、桜はただ苦しさに喘いだ。
 額に当たったひんやりとした感触に桜が薄らと目を開けば、誰かが側に居るらしかった。あっちを向いたままの大柄な青年と、心配そうに顔を覗き込んでくる華奢な少年。少女は、桜の口の中に水を数滴落とした。その冷たい感覚が気持ち良い。
『雪風、どうしてこの子がこんなに無理をする前に止めなかったんだい?』
『無茶言うな。雅沙羅と違ってそいつにゃ俺も見えなきゃ声も聞こえねぇんだぞ』
 少年と青年の声に、少女も何か言わないだろうかと桜は彼女を見上げた。そんな桜の思いを知ってか知らずにか、少女は桜の頭を優しく撫でる。
「お休みなさい、結」
「お休みなさい、お姉ちゃん」
 灼けつくような痛みを訴える喉からどうにかそれだけ絞り出すと、桜の意識は再び暗転した。



『ん、どした。今日はそんなにしっかり調理して。いつも結構軽く済ませてんのに』
「そろそろ結が起きる頃合いかと思いまして」
『あ? 相変わらずそういうのには敏感だな、お前。まだ目も覚ましてねぇのに』
 耳に届いた誰かの声に、桜の意識は少しだけ浮上した。
 なんだか長い夢を見ていたような気がして、桜にはこれが夢の延長なのかどうかの判別がつかない。
『いーなー、結の奴はお前の手料理が食えんのか。しかも無償で。うまいだよなー、お前の料理』
『え、そうなんだ……?』
 ぼんやりと見回せば、少女が囲炉裏にかけられた鍋の中身を混ぜ、それを少年と青年が横から羨まし気に覗き込んでいた。
 置かれている状況がさっぱりと飲み込めない桜だったが、なんだか懐かしいような気もする。
「お二人には振る舞えなくて残念です」
『本当だっての』
 困ったように青年に微笑んだ少女が、ふと振り返った。
 はっとして桜は慌てておき上がろうとするが、背中が痛烈な痛みを訴える。
「そんなに急には動けないでしょう」
 くすりと笑うと、彼女は鍋の中身を取り分けた。そして桜の枕元に座った彼女は桜が上体を起こすのを手伝うと、取り分けたお椀と箸を桜に持たせてくれた。
 嗅覚もおかしくなっているらしい、今まで気がつかなかったがすごく美味しそうな匂いがした。
「えっと……いただきます」
「どうぞ、召し上がれ」
 重い腕を動かして、どうにか一口啜る。
 残念なことに味覚もおかしいらしく、桜には味も良く分からない。それでも、おいしいと思った。
『うぐぐ……羨ましいぜ』
 未だ鍋の横に貼り付いている青年——相当体格は良いが、そんなに怖そうな人ではない——の言葉に、桜は箸を止める。
「あの……何で食べないんですか?」
『え?』
 青年は目を丸くし、きょろきょろと辺りを見回す。そして自らを指差して桜に逆に問い返した。
『それ、俺に言ってる?』
「……はい? あ、足りないなら……」
 桜が自分の器を差し出そうとすると、大男は大慌てで手をぶんぶんと振り回し、拒絶した。
『いや、足りないとかんな話じゃなくてもっと根本的な話でな。ってかそれ、雅沙羅がお前の為に作ったんだから遠慮なく食えっていうか俺が取ったら怒られる』
「私の、為に?」
 小さく反芻して、背を支えてくれている少女を見る。
「雅沙羅……諒闇、雅沙羅?」
「はい?」
 桜が名前を確認したことにか、それとも桜が名前を知っていたことにか、驚いたように目を瞬かせる彼女に、桜は続けた。
「あ、あの、私、その、神玉桜っていいます。あの、こんなことお願いできる立場じゃないって分かってるんですけど、その」
 そこまで言って桜ははたと止まる。
 敵同士でつい先頃まで争っていた相手に、桜は一体何を頼むというのか。そもそも何を頼めば良いのかも分からずに、彼女は俯いて口を閉ざした。
 雅沙羅はそんな桜に優しく微笑みかけると、何を思ったのかぎゅっと抱きしめてきた。
「な……」
「ここまでわざわざ会いにきてくださったんですよね。ありがとうございます。でも話は後にして、まずはしっかり食べて良くなってくださいね。まだ沢山ありますから」
 彼女の態度はまるで、旧知の知り合いのようではないか。
 敵だったのにどうして、と桜は混乱するが、彼女の言うことには一理ある。こくりと一つ頷いて再び椀を口元に運んだ。  山菜が沢山入った粥。良く煮込まれてあるらしく、中に入った具はどれも柔らかく口の中で形を崩した。
「おご馳走様でした」
「お粗末様でした」
 空になった器を桜から受け取ると、彼女は桜の側を離れた。恐らく台所に洗いに行ったのだと思う。
 その場に残された少年と青年の二人で、桜が食べているのが気になっていたようだったが、結局二人は何も口にしなかった。
『雅沙羅の料理、おいしかった?』
「え、あ、はい、すごく」
『そう、それは良かった』
 少年がにこりと笑う。育ちの良さそうな、綺麗な笑顔だ。
「あの、お二人は食べないんですか?」
『食べれるなら食べたかったってぇんだ』
 あぐらをかいた青年が、どこか不機嫌そうにぶっきらぼうに答えるが意味が分からず、桜は首を傾げた。
「食べられないって……なんで?」
 素朴な疑問を桜が口にすれば、青年は面白そうににやりと笑う。
『なんでってそりゃ、俺ら幽霊だから』
「はい?」
『ついこの間までお前、俺のことなんか綺麗さっぱり見えてなくて完全無視だったんだよなー。知ってるぜー、俺、一週間前にお前、街道の途中でぶっ倒れそうになった所を飯屋のばあさんに拾ってもらって、久々の飯に泣きそうになってたのとか、あとはそーだなー』
「はい!? やめてやめてやめてーっ!」
 誰も見ていないだろうし、見ていたとしても気にしないだろうと思っていたことをばっちりと証言され、桜は恥ずかしさのあまりに耳を塞ぎ、布団の上に突っ伏した。
 突然幽霊などと言われて納得することはできないというのに、まるで見てきたかのように、そして恐らく実際に見ていたのだろう、言われてしまえば事実として受け入れざるを得ない。
「でも私、幽霊見えるって……なんで?」
『お前、さっきからそればっかだなぁ』
 青年が呆れたように言い、少年が口を挟んだ。
『うん、僕たちにも良く分からないんだけれど、死の淵を彷徨った人にはなんだか見えるらしいんだ。だから多分、君も。回復して良かった』
 彼の言葉に、桜はぎゅっと手を握りしめた。
 死ななかったのか、死ねなかったのか。今は良く、分からない。



Eternal Life
月影草