道は交差して



 道なき道を歩いていた雪風ががさごそと木々の合間を抜ければ、きゃあっと甲高い子供たちの声がした。どうやら人里に着いたらしい。
 寺でもあるのならば、一晩の屋根でも借りられるだろうかと淡い期待を抱きながらふと顔を上げる。そこにいたのは、少女二人とまだ幼い子供たちだった。
 少女の一人は、白い上衣に赤袴――巫女の格好をしていた。もう一人の少女や子供たちは普通の着物で、子供たちは少女二人の背後や石灯籠の後ろに隠れている。どうやら雪風が出たのは寺ではなく神社の境内だったらしいと、他人事のようにして考えていたその時。
「この村はあたしが守る! 覚悟!」
 平服の少女の方が、何を思ったのか突如殴り掛かってくる。
 しかし、まだ成人もしておらず、身長など雪風の胸辺りまでもない少女に多少殴られた所で痛くもないし、逆に彼女を押さえ込んでしまうのも容易だ。避けるついでに軽く手首を掴んでやれば、
「く……やるわね!」
 などと威勢のいいことを言ってくる。
 一方で、巫女服の少女の方は落ち着いたものだった。
「駄目ですよ、千秋。お客様かもしれないのに」
「えー。お客様ってのは、正面から入ってくるものじゃないの? こんな山道もないようなところから出てくるのは密偵だって」
「密偵の方ならば、子供がいると分かっているこちらには姿を現さないと思いますよ」
「む、それもそっか。すみませんでした」
「いや、驚かして悪かったな」
 素直に謝った千秋という少女の手を放す時、赤くなっていないことだけは雪風もさっと確認した。
 改めて見回せば、子供たちの非難がましい視線が突き刺さり、雪風の顔が引きつる。楽しく遊んでいた所に突然見ず知らずの男が現れれば、この反応も仕方がないのかもしれない。
「こちらこそ、突然の非礼をお許しください」
 仕方がない、と思っているにもかかわらず巫女の少女に深々と頭を下げられた彼は、逆に慌てるしかなかった。
「いや、別に怪我した訳でもねぇし、謝られても困るってぇかむしろ俺のが悪かったってぇか……ならちょっと教えて欲しいんだが、村はどっちだ? 買い物がしたい」
 雪風の言葉に頭を上げた少女は、にこりと笑うと鳥居の先の石段を指す。
「村ならば石段を降りてすぐですが、ご案内します。それと、もしよろしければ今日は、清舞の家にお泊りください」
「それはありがたい。って……シンブ?」
 どこかで聞いたことのある名に雪風が眉根を寄せれば、その様子を見ていた千秋がにやりと笑った。
「もしかしてさ、この村がどこか知らないで来た? まぁ、確かに山道ばっかり歩いてたんじゃ、方向分かんなくなるのも無理はないよね。密偵とか疑ってごめん」
「『神武の里』と言えば、一般的には分かって頂けるようですよ」
 どうぞこちらです、と背を向ける少女に、彼は一瞬反応することができない。
 どうやらとんでもない場所に来てしまったらしい。
 そんな思いだけが、雪風の頭の中を駆け巡っていた。顔色がさっと青ざめたのを、彼女たちは見抜いてしまっただろうか?
「なら、ここの神社はもしかして……?」
「神武神社。当然でしょ?」
 雪風の隣を歩く千秋に問いを投げかければ、単純明快な答を返され頭の中が真っ白になる。
 天皇家を影から支える家があるらしいと、庶民の間では噂されていた。神社の神主に聞けばそれは噂話から事実となり、神武神社と呼ばれる神社が、清舞という家によって守られているのだと、そこまでしっかりとした話を聞くことができる。
 雪風は後者から話を聞いていたし、神武の存在を疑うこともなかった。
 ただ、神武神社の場所を教えてもらうことはなく、彼自身も興味がなかった為に、まさか自分が神武神社に足を踏み入れることなどないだろうと、そう思っていたのだ。
 清舞家の身分について、神主の一人が何か言っていたなと思うが、それが何であったのかを思い出せない。確か彼らの話では、清舞家の身分の扱いは特殊であったはずだ。ならば、巫女の少女には頭を下げるべきではないのか。
 少女に先導されて石段へと向かいながら、そんなことをぐるぐると考えていれば。
「おねーちゃんは、あたしのなの!」
 おかっぱ頭の小さな女の子が、雪風を精一杯睨みながら巫女の少女にぺたんと貼り付いた。
 その女の子の服装はどう見ても平民のものだし、巫女の少女とは顔立ちも違うことから姉妹とは考えにくい。子供だから許される馴れ馴れしさなのか。それともこの村ではこういうものなのか。
 彼が解釈に困って目を白黒させていれば、別の女の子が割って入った。
「こらー、結! 雅沙羅お姉ちゃんは誰のものでもないって、何回言ったら分かるの」
「やだ。あたしのお姉ちゃんなんだもん!」
「だから違うでしょ!」
「二人とも、ほら、喧嘩は駄目よ?」
 二人に言い聞かせながらしゃがみ、目線を合わせて更に一言二言言うと、巫女の少女は二人共抱きしめた。おかっぱの女の子の方は彼女の袂を未だに掴んで放さないが、そこは見逃すらしい。
「あの子ねー、結って言うんだけど、雅沙羅にべったりで離れないの」
 解説するように千秋が雪風に言って、肩をすくめた。そして彼女は、子供たちの気を引くようにぱんぱんと手を叩く。
「ほら、あんたたちもそろそろ帰る時間でしょ。あたしたちが家まで送ってくから、さっさとこっち来る!」
「はーい」
 千秋の物言いは一方的なようにも思えたが、境内に散らばっていた子供たちは素直に従ったのだった。


「それで、必要なものは揃いましたか? 足りないものがありましたら、なんなりとお申し付けくださいね」
「あー……えぇっと、神武様?」
 半歩先を歩く雅沙羅の名を恐る恐る雪風が呼べば、彼女は足を止め、戸惑ったような表情で振り向いた。
「そのような礼は不要です。私自身、まだ神武の名を継いでいないからでもありますが、そうでなくても必要ありません。私のことはどうぞ、雅沙羅とお呼び下さい」
「俺も敬語なんざ使えねぇからその言葉に甘えさせてもらうが、あんたんとこ、相当良いご身分なんじゃねぇのか?」
「形式だけですよ」
 あっさりそれだけ言うと、こちらですと雅沙羅は再び先を歩き始めた。彼女にしてはつれない態度に、言ってはいけないことを言ってしまったらしいと雪風は視線を宙に泳がせた。
 雅沙羅自身、態度にはっきりと表れてしまったことに自覚があるのか、躊躇うように足を止めた。
「……あなたも私も、同じだと思うのです」
「ってぇと?」
「同じ人間として生きていくのにあたって、一方が敬われ、一方が蔑まれる理由が出自で良いのでしょうか。私はそこに、疑問を感じます」
 疑問、と言いながらも揺るがない雅沙羅の視線を、雪風は受け止める。
 淀みを知らないであろう一陣の風が、さっそうと吹き抜けた。
「それは、天皇家を否定するってぇことか?」
「神武家は天皇家を支える家、として知られていますが、その表現は正しくありません。神武家は、どなたにお仕えするのかを自ら選ぶことが出来ます。多くは当代の天皇を主として定めますが、今代の皇太子殿下がこの国を率いるのにふさわしくないとの考えから、自らの主は祖霊のみとした神武当主も過去には存在したようです。ですので、血筋はあまり……」
 言いにくそうに雅沙羅は声を潜めるが、彼女が告げた事実に雪風は舌を巻く。そんなことがあるのか。それが、彼の正直な感想だった。
「あのさ、俺に清舞家滞在を勧める理由ってぇのは何だ」
「それは単純に、旅のお話をお聞きしたいからですよ」
 一転変わって屈託のない笑顔になる雅沙羅の言葉に、恐らく嘘はないだろうと雪風は結論づける。疑う訳ではないが、裏がある可能性を思っていたのは本当だ。


 清舞の家で雪風が大層もてなされ、同時に旅の話を大量にせがまれた次の日。
 発つ前に雅沙羅に一言挨拶を、と雪風が神社に行くと、既に先客がいた。暇そうに幣殿前の階段に座っているのは千秋、閉じられた障子から中を覗こうとしているのは、結だ。彼女がご執心の少女が幣殿の中で何かやっているだろうことは、微かに聞こえてくる笛の音から窺い知れた。
「あ、おはよ。雅沙羅ならまだ稽古中」
「そうか」
 短く返すと、彼は担いでいた荷物をどかりと地面に降ろし、腰も一緒に降ろした。
「いつもこうやって二人で待ってんのか?」
「半々くらい。最近は待ってる方が多いかな。やっぱり忙しいみたいで。でもね、雅沙羅が忙しいのは分かるの。でも雅沙羅よりずっと長い時間一緒にいるっていうのに、この子、雅沙羅にしか懐かないって酷いと思わない!?」
 この子、と千秋が指し示すのは当然、昨日も雅沙羅に貼り付いてはがれなかった結である。
「そんなかっかしてると、怖くて近付きたくもねぇんだろ」
 酷い、と抗議しようとした千秋の声が、「あ」という子供特有の高い声に遮られる。
 障子の紙を透かして見るのは諦めた結は、どうやら戸の隙間から覗こうとしていたらしい。少し隙間を大きくするくらいならば気付かれないだろうとでも思って力の加減に失敗し、がらりと大きく開いてしまった――恐らくはそんなところであろう。
 少しだけ大きくなった笛の音に合わせ、刀が空を切る音までもが聞こえてくる。
 結を見遣るその動作で幣殿の中を見る形となった千秋と雪風は、思わず息を飲んだ。
 幣殿の中央で袴の裾を翻す雅沙羅は、優雅に、けれど力強い舞を見せていた。
 身じろぎ一つ出来ずに固唾を飲んで見守る三人の前で彼女は刀を鞘に納めると、正座して刀を床に置き、一礼した。響いていた笛の音も、空に溶けるように消える。
「雪風殿は、もうご出発ですか」
 少し上がった息でそう問われ、「あぁ」と雪風は反射で頷いた。
「そいつがここの神楽なのか?」
「はい。今度の新年の儀は、不肖ながら私が務めさせて頂くことになりましたので。まだ練習中でお見せできるようなものではないので、お恥ずかしい限りです」
「いや……良かった」
「私もそう思うわ。こんな時期から始める必要はなかったようね」
「そんな……音桐様まで。買いかぶり過ぎです」
 笛を手に持ち雪風に同意したのは、雅沙羅や千秋の母親くらいの年齢であろう女性だった。彼女が恐らく、当代の神武家当主なのであろうと雪風は見当をつける。
「雪風殿。それに千秋と結も。一緒にお茶などいかがですか?」
「いや、ありがたいけど、俺はもう行くよ。ここんとこ、日が沈むのが早くなってきてんだ。あんまし遅くなりたくない」
「そうですか、それは残念です。また機会がありましたら、お立ち寄りくださいね。次は是非、この子の晴れ舞台を見に」
「音桐様、やめてください……」
 にこりと笑う音桐の横で、雅沙羅は顔を真っ赤にして縮こまる。大人顔負けの立ち居振る舞いをしていた彼女の、年相応の表情を見たような気が雪風にはした。
「じゃあ、世話んなったな。また来るから、元気にしてろよ」
「『来る』んじゃなくて、また『迷い込む』んじゃないの?」
 そんな憎まれ口を叩く千秋に、雪風は素直じゃないなと吹き出した。
「またねー」
 結に大きく手を振られ、「またな」と手を振り返しながら荷を担ぐ。
「迷ったっていいだろ、ここに着けりゃ」
 それもそうか、と憮然としながらも納得した千秋の様子が、更に笑いを誘った。

 今度の新年にまた訪れるのは難しい。でもきっと、その次があるから。



Eternal Life
月影草