躊躇う理由など



「あのね、雅沙羅」
「はい、何でしょう?」
「……」
  声をかけてきた桜は、躊躇って口を閉ざす。きょろきょろと辺りを見回しているのは、「誰か」がいないことを確認しているのだろう。私は読んでいた本に栞を挟み、テーブルの上に置いた。横に立つ彼女を見上げ、にこりと微笑む。
「どうしました、桜。雪風なら……」
「おう、今戻った」
「……さっきまで、いなかったのですが」
 このタイミングの良さには苦笑せざるを得ない。
「ううん、邪魔してごめん。また後でにする」
「なんだなんだ、俺に言えない相談か?」
「違うもん! そんなんじゃないもん!」
「なら言ってみろよ。ほら」
「雪風、本人が後にすると言っているのですから、後でも構わないでしょう」
「いや、今じゃないと俺を外されそうだから譲れん。大体、俺が聞いてまずい話じゃないんだろ、どうせ」
 多分だけれども、雪風は正しい。雪風に聞かれて困るような話ではないけれど、聞かれたくない。その理由は恐らく、雪風が笑うから。
「ほら、雅沙羅の時間使って申し訳ねぇくらい思うだろ。さっさと終わらせるっ」
「だから後にするって言ってるんじゃない!」
「ならその理由言ってみろ、ほら」
「雪風」
 挑発する彼も彼だけれども、不満そうな顔で上目遣いに雪風を見上げる桜は、完全に雪風に乗せられてしまっている。
 雪風の強引さには首を傾げることもあるけれど、こうなってしまうと最早私が入る隙はない。なんだかんだ言いながら、桜も楽しいのだと思う。
「今度、潮干狩り行きたいなーって」
「潮干狩りぃ?」
「えぇ、いいですよ。週末の天気は良かった筈ですし」
「え、本当? やった!」
 無邪気に喜ぶ桜を見ながら、雪風が意地悪そうな顔をする。あぁ、これは。
「お前、潮干狩り行ったって、服びっしゃびしゃに濡らして終わるんじゃねぇの?」
「そんなことないもん! あさりいっぱい採って、お味噌汁作るの!」
「誰が」
「雅沙羅が」
「お前じゃねぇのか」
「だって雅沙羅が作ったお味噌汁おいしいの」
「雪風」
 再び彼の名を呼べば、「あ?」と面倒くさそうに視線を向けてくる。私はテーブルの上に置いた本を再び手に取りながら、彼に言った。
「良い場所を、選んでおいていただけますか」
「仕方ねぇなぁ……穴場、連れてってやるよ」
「わーい、今度の週末だね? 楽しみにしてる!」
 嬉しそうに小躍りする桜の横で、ぶつぶつと何事かを呟いている雪風は、恐らく今までの経験から良い場所を選んでくれているに違いない。
 彼も楽しんでいると、そう思うのに。



Eternal Life
月影草